地中海各地へのワインの広まり ギリシャ、ローマへ伝播するワインの魅力 (B.C.2300~B.C.500頃)

 ギリシャ、クレタ島にワインがもたらされた時期ははっきりとは分かっていませんが、少なくともB.C.2200年頃にはワイン造りが盛んだった形跡があるため、B.C.2300年頃までにはフェニキア人によってエジプトから持ち込まれていたのではないかと言われています。
当時のギリシャではミノア文明、ミケーネ文明が都市文明を築き始めていた時代で、海洋貿易によって繁栄していたため、ワインの需要も醸造法が広まる土壌も十分にあったのです。
その後、一度はドーリア人(スパルタ)によって歴史的な記述の残っていない「暗黒時代」に突入しますが、B.C.900年頃には再度高度な文化を持った都市が栄え始め、短期間のうちに黒海沿岸やイタリア半島南部、現在のスペインやフランスの一部まで領土や植民地を拡大。
同時にブドウの栽培やワイン醸造の文化も広めていきました。

 当時のギリシャは都市国家(ポリス)の集合体で、全体的な支配者はいませんでした。
都市間の小競り合いや近隣の土地への侵略戦争など争いも多かったのですが、その分有力な都市には富や余裕が集中していました。
日常的な労働は奴隷や女性に任せ、自由市民の男性とその家族は演劇や音楽、運動競技などのより思想的、文化的な活動に注力できたのです。
そうした背景のなかブドウの栽培法の改良も進み、エジプトから伝えられた棚仕立てだけでなく、株仕立てや支柱仕立て(棒仕立て)などより効率的な仕立て方による栽培が行われるようになりました。
高度な文化水準は「市民らしく振る舞うべき」という思想も生み、ギリシャの各市民は酒を飲むときも酩酊することを良しとしなかったため、ワインは必ず水や塩水で割って飲み、ストレートで飲むことは野蛮な行いであるとされていました。
ただし水で割るのは、かなり多くの糖分が残りジュースのように甘かった当時のワインを飲みやすくするためであったとも言われています。
酔っ払いは嫌ったギリシャ人ですが、ワイン自体は一般的に親しまれており、広く信仰されていたギリシャ神話には、ブドウとワインと酩酊を司る「ディオニーソス」という神様も登場します。

 ギリシャの勢力が最大となる少し前のB.C.800年頃、イタリア半島南部にブドウ栽培とワインの醸造法が伝えられました。
現在も高品質なブドウを生み出すことのできるこの土地は当時からワインの名醸地として有名だったようで、多くのワインが生産されていたようです。
そしてB.C.500年頃、ギリシャ領のすぐ北に位置していた古代都市ローマから、巨大な帝国へと成長するその第一歩が踏み出されます。