ワインが日本で造られるまで ワイナリーの日本史

 日本にワインが伝わったのは江戸時代、本格的な醸造が始まったのは明治時代とされています。
つまり、日本のワイン造りの歴史はまだ130年ほどということになり、これはワインの世界史やヨーロッパ史はもちろん、新世界諸国に比べても「ごく最近はじめたばかり」というべき短さです。
しかし、これは「本格的な醸造が始まってから」の年数であり、それより昔にワインにチャレンジした日本人がいなかった、というわけではありません。

 日本最古のワイン用ブドウは、甲州だとされています。
ルーツはヨーロッパ系品種で、おそらく平安時代にはすでにシルクロード経由で中国、そして日本に持ち込まれていたのではないかと言われています。
つまり、その時点ですでに日本国内でワインを造ろうという試みがあったということです。
しかし、高温多湿な日本の土地で、冷涼で乾燥した環境を好むヨーロッパのブドウが上手に育つはずもなく、栽培に失敗して放置されて野生化。
その後、1186年に勝沼の雨宮勘解由(あまみや かげゆ)という人物が(再)発見して育てはじめたことから、山梨県の名産となりますが、残念ながらそれからしばらくは生食用、観賞用として栽培されることになりました。

 その後も、ワインを造ろうとしたという記録は公式にはほとんど現れません。
中国との貿易を通じてワインの存在自体は知られていたはずですし、そもそも生食用のブドウが存在し、それを潰れた状態で放置するだけで発酵が始まる以上、少なくとも「ブドウから酒を作ることができる」ことは認識されていたと考えられます。
それでもワイン造りが(少なくとも公式には)行われなかった理由としては、生食用ブドウ品種から造ることのできるワインの品質が低かったこと、ワインに適した品種の日本での栽培が難しいこと、ワインの酸味や渋みが日本人の味覚にあわなかったことなどが挙げられるでしょう。
また、その頃にはすでに麹や三段仕込製法を利用した、今と同じような日本酒が(手軽に手に入るものではなかったにせよ)造られていた事も関係あるかもしれません。

 結局ワインの醸造が本格的に意識され始めたのは、欧米の文化が大量に流入し、「文明開化」が始まる明治時代に入ってからのことだったので、最初は「味わい」よりも「外国産の酒であるということ」、つまり嗜好品としてよりも文化としての魅力からスタートしたと言えるでしょう。
山梨県の甲府市で、山田宥教(やまだ ひろのり)と詫間憲久(たくまのりひさ)が「ぶどう酒共同醸造所」を設立した1870年(明治3年)が、日本でワイン造りが始まった年とされています。
この時原料とされたのは、すでに生食用ブドウとしては山梨県の名産であった「甲州」や、日本固有品種の「ヤマブドウ」でした。
ただし、彼らのワインは醸造技術の低さや腐造などによってまともな品質のものにはならず、醸造所も数年で閉鎖となってしまいます。
1877年(明治10年)には、勝沼市で「大日本山梨葡萄酒会社」が設立されました。
高野正誠(たかの まさなり)と土屋竜憲(つちや たつのり)がフランスへ派遣され、高い醸造技術を基盤としたワイン造りを行いましたが、原料となるブドウ品種の適性の問題からやはり苦戦することに。
このあとも山梨県や新潟県、北海道などブドウ産地を中心にいくつもの醸造所が設立されますが、この時点では国産のブドウを使用したワインが一定の水準をクリアすることはありませんでした。
そして1885年(明治18年)、東京都、三田にあった官営の育種場がアメリカから輸入した苗木についていたフィロキセラが猛威をふるい始め、日本のワイン産業はいったん衰退の憂き目をみることとなります。

 その後、新潟県上越市に岩の国葡萄園を開き、マスカット・ベーリーAなどの日本の風土に合ったワイン用ブドウ品種を開発した川上善兵衛氏など、ブドウ栽培と国産ワイン造りのために尽力する人々の活躍もありましたが、二度の世界大戦によって酒造業自体が停滞。
第二次世界大戦中は、副産物である酒石酸から作られるロッシェル塩が兵器のセンサーとして利用できることから、飲み物としてではなく工業部品として醸造されていたこともありますが、当然ながら品質や技術の向上には寄与しませんでした。
戦後には、荒れた農地の利用のためにブドウが植えられたり、ワイン造りを再開するメーカーもありましたが、人々が求めるワインのイメージが、本格的なワインではなく蜂蜜や糖類で甘みをつけたものであったことなどもあり、国産ワインといえばワイン「風」の低品質なものしかない時期がしばらく続きます。

 流れが変わってくるのは、1970年代。
東京オリンピックや大阪万博などで国外へも目が向くようになり、高度成長期にはいって海外旅行も一般的になったことなどから、一般の人々にも本格的なワインが知られるようになってきます。
さらに80年代にはボジョレーヌーボーブームが起こり、ワインの消費量も激増。
当初は輸入ワインが中心でしたが、大手メーカーを中心にブドウ栽培や本格ワインの醸造に力を入れる生産者が徐々に増えていきました。

 当初は低品質なイメージが拭いきれず、輸入ワイン優位の時期が続きましたが、海外のワインコンクールで高い評価を得る製品も増え、近年では逆輸入的に注目を集めるワインも多くなってきています。
また、海外から輸入した果汁ではなく、国産のブドウだけを使用したワインを「日本ワイン」と呼ぶなどワイン法に近い法整備も進み、より世界基準に近い状況の中でのワイン造りが推進されつつあります。
現在は(有名なワイン産地のものであっても)輸入果汁に依存しているメーカーも少なくないため、しばらくは試行錯誤が続きそうではありますが、いずれ高品質なだけではなく、日本ならではの特徴を持ったワインが造られるようになるでしょう。

 ワイン史としてはまだまだ始まったばかりといえる日本ワインは、まさにこれから熟成の時代を迎えるのです。