ヴェネトの地域データ 位置、歴史、気候など

目次

ヴェネト州(Veneto)とは

 ヴェネト州は、イタリアの北東部、大陸の領土のアドリア海沿岸にある州です。
トレンティーノ・アルト・アディジェ州(Trentino Alto Adige)、フリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州(Friuli Venezia Giulia)、エミリア・ロマーニャ州(Emilia Romagna)、ロンバルディア州(Lombardia)と州境を接し、北東の端でオーストリアと国境を接しています。
アドリア海に面しており、州都のヴェローナ(Verona)、港町ヴェネツィア(Venezia)など、重要な都市が多く属しています。
現在のイタリアではもっともワインの生産量の多い州のひとつで、2012年の集計ではエミリア・ロマーニャ州、シチリア州(Sicilia)などを抑えて第一位になりました。
DOPワインが全体の半数近くを占めるなど、生産量だけでなく高品質なワインの産地としても知られ、ヴェローナは「ワインにおける首都」の異名も持ちます。
全体的に温暖な気候を持ち、豊かな果実味を楽しめる比較的軽いワインが主体となります。
陰干しブドウを使用する「レチョート(Recioto)」も有名です。

ヴェネト州のワインに関する歴史

 ヴェネト州のワイン造りは、イタリアの他の地域と同じくローマ時代よりも前に始まったとされています。
山がちな地域が多いイタリアの中では例外的に平坦な土地の多いヴェネト州周辺は、当時から農業地として重宝されていました。
ローマ帝国が分裂した後は、東ローマ帝国、東ゴート王国、ランゴバルド王国などの支配を経て、697年にヴェネツィア共和国が成立。
長い間独立を保ち、イタリアの地域の中ではめずらしく比較的平和な歴史を重ねていきます。

 国内の大きな河川とアドリア海での交易を独占できたヴェネツィア共和国は、それによって強大な力を得ていきます。
ワインを含む食物の輸出入も盛んで、国内の修道院や貴族の土地から運び込んだワインをエジプトやシチリア王国などへ輸出し、逆にギリシャなど国外のワインを輸入して国内外へと販売もしていました。
このギリシャ風の甘口ワインがことのほか好評だったため、国産でも同様のワインを製造しようと開発されたのが、陰干しブドウを使用したワイン、いわゆる「レチョート」です。
今は地域によっては辛口から半甘口のものも造られていますが、当初は甘口用の手法だったのです。
収穫後のブドウを数ヶ月陰干しして半レーズン化したものを使用するワインは周辺の州や別の地域にもありますが、レチョートという名称を使用するのは現在ではヴェネト州だけとなっています。
13世紀以降は黒海貿易や北ヨーロッパ諸国との貿易も進み、金融業も発達してさらに栄華を極めていきました。

 しかし、喜望峰周りの航路が発見され、外洋貿易の中心地としての地位をオランダ・アムステルダムに奪われると、その繁栄にも陰りがさすようになります。
16世紀以降は度重なるオスマン帝国などとの戦争やペストの流行などにより徐々に国力をそがれていき、18世紀末にはついにナポレオンによって滅ぼされ、フランス、そしてオーストリアの支配を短期間受けた後イタリア王国に併合されます。
当時のイタリアのワイン造りは「質より量」が基本姿勢で、ブドウの栽培も自然に任せた雑なものでしたから、ヴェネト州でもしばらくの間それに倣った大量生産的なワイン造りが行われます。

 流れが変わるのは二度の世界大戦が終わった後のことです。
1963年にイタリアの原産地呼称制度であるDOC法が制定されると、イタリアのワインもフランスなどと同じように品質を重視したワイン造りにシフトしていきます。
ヴェネト州の場合、州都のヴェローナで行われる大規模なワイン市に、国の内外から多くのワイン生産者が集まるのもきっかけのひとつとなりました。
21世紀にはいってからは、いくつもの地域が続々とDOCやDOCG(どちらも現在のDOP相当)に認定され、現在では半数近くが上質ワインという、量と質の両方を兼ね備えるイタリア最大のワイン生産地となったのです。

ヴェネト州のテロワール

 ヴェネト州はアドリア海からの暖かい海風の恩恵を受け、イタリア北部としては比較的温暖な気候を持ちます。
海沿いは「アクア・アルタ(acqua alta)」と呼ばれる高潮の影響なども懸念されるためか主要な生産地はありませんが、北側を取り囲むように広がる山脈との間の広大な平野部全体にブドウ畑が造られています。
土壌は石灰質を多めに含むほかはさほど特筆すべき点はありませんが、緩やかな丘陵地帯は日照面でも有利に働き、ミネラル感の豊富な白ワインを育んでくれます。