シャンパーニュの地域データ 位置、歴史、気候など

目次

シャンパーニュ地方

 シャンパーニュ地方は、フランスのワイン生産地の中で最も北にある名醸地です。
フランスの国土の北部中央、ブルゴーニュ地方の最北であるシャブリよりも緯度が高く、中心地のひとつである都市ランスは北緯49.5度。
北海道の県庁所在地である札幌市が北緯43度ですので、どれだけ高緯度かがわかります。
周囲に広がる緩やかな山の間に畑が分散しており、産地は複数の県にまたがって「右向きの矢印」をいびつにしたような形で点在しています。

シャンパーニュの産地は大きく分けて5つに分類されます。
主要都市ランスを含み山間部に広がるモンターニュ・ド・ランス地区(Montagne de Reims)、マルヌ県からエーヌ県に向けて流れるマルヌ川に沿うヴァレー・ド・ラ・マルヌ地区(Vallée de la Marne)、もうひとつの主要都市エベルネから南西に向けて細長く伸びるコート・デ・ブラン地区(Côte des Blancs)、その延長線上にあるコート・デ・セザンヌ地区(Côte de Sézanne)、そしてそれらのひとかたまりになった産地から唯一離れセーヌ川とオーブ川上流まで南下したところにある飛び地コート・デ・バール地区(Côte des Bar)です。
4つの県にまたがって広がっているため気候や地形はまちまちなのですが、地質は基本的には石灰質で統一されており、その真っ白で純度の高い石灰の土壌は「チョーク」と表現されることもあります。

シャンパーニュの歴史

 シャンパーニュの中心都市であるランスには、フランスのもととなったフランク王国の初代王、クロヴィス1世が496年に洗礼を受けたノートルダム大聖堂があります。
それ以降、19世紀になるまで25名のフランス国王が戴冠式を行う重要な地となるのですが、この5世紀の終わりごろにはシャンパーニュはすでにワインの名産地として知られていたようです。
とはいっても、この頃にはまだ「シャンパン」はおろかスパークリングワインそのものが影も形もありません。
実はシャンパンが登場するまでシャンパーニュの特産とされていたのは、スティルワイン、それも赤ワインでした。
政治的、宗教的、そしてワイン産地としても重要な意味を持つ地として、フランス、そしてヨーロッパの歴史が揺れ動く中でも、シャンパーニュはゆっくり発展していきます。

 その動きに勢いがつくのは11世紀頃のこと。
ブルゴーニュ地方でシトー派がクリマを分け、ボルドー地方がイギリス領土となったこの頃、シャンパーニュ地方は交易の要の地として各国の商人たちが集っていました。
シャンパーニュのある位置はちょうど人の流れが集まりやすい当時のヨーロッパの中心地で、オーブ川やセーヌ川、マルヌ川といった大きな川が物流にとって好都合だったのも大きな理由と言われています。
年に6回、1度に1ヶ月も続けて開かれた市場は「シャンパーニュの大市」として商人の間で知られ、シャンパーニュ地方を発展させる原動力となりました。
この頃にはワインはもちろんですが、毛織物や糸などの繊維製品も名産品だったようです。
この時に商人として財を蓄えた人々が、その後数世紀の間にメゾン、つまりワインの醸造者となっていくのです。

 こうして徐々に発展してきたシャンパーニュのワインがついに大きな注目を集めるようになったのは、17世紀から18世紀にかけての2つの大きな事件がきっかけでした。
ひとつは、フランス貴族社会での赤ワインの流行です。
太陽王の異名を取るルイ14世の主治医が健康のためにブルゴーニュのワインを勧めたことで急激に広まった赤ワインブームは、ブルゴーニュのみならずフランス中の赤ワインの名醸地に特需をもたらしました。
シャンパーニュの赤ワインももちろん例外ではなく、「王が戴冠式を行う地のワイン」として貴族たちの間でよく知られたものになりました。
そして、そこにもうひとつの大事件、発泡性ワインの発明が起こります。
もとは冬の寒さで発酵不全に陥ったワインが、瓶詰め・流通先で再発酵を始めたことから偶然発見されたスパークリングワインですが、これを果汁のブレンドやコルクの使用によって「シャンパン」にまで高めていったのが、キリスト教ベネディクト派の修道士だったドン・ピエール・ペリニョンだったと言われています。
これがイギリスで人気になり、商人たちの手によって改良が進んだことで品質と知名度が向上、もともとシャンパーニュの赤ワインを好んでいたフランスの貴族たちに飲まれるようになっていきました。
当時はかしこまった会食の席というよりも舞踏会のような華やかな席で盛り上がるための酒として飲まれていたようで、コルクを派手に飛ばして泡やしぶきをかけあってはしゃぐという楽しみ方もされていたとのこと。
コンティ公ルイ・フランソワ1世とブルゴーニュのグラン・クリュ「ロマネ・コンティ」の争奪戦を繰り広げたことで知られるポンパドゥール夫人のが「女性が飲んで美しくいられるワインはシャンパーニュだけ」と言ったという伝説もあります。
こうした上流階級が愛したというエピソードに加え、シャンパンは生産に時間と手間がかかり、大量生産の時代にはいってもなかなか生産量が増えていかなかったため、名実共に高級ワインとして尊敬を集めるようになって行きました。

 フランス革命の後、フランス中のワインが造り手も飲み手も貴族から市民へと移り変わっていく中で、シャンパーニュにも多くの「シャンパーニュ・メゾン」が生まれていきました。
そして依然としてシャンパンの人気が高く、ウィーン会議で諸外国からも注目されるようになって需要が高まっていたことから、シャンパーニュ地方の主役となるワインはかつての赤ワインからシャンパンへとほぼ完全に移り変わっていきます。

 フィロキセラ災害や二度の戦争でダメージを受けながら、大量生産によって安価で高品質なスパークリングワインが出回るようになった現在でも、シャンパンは輝きを失うことなく世界中で愛され続けています。

シャンパーニュ地方の自然環境

 シャンパーニュ地方はいくつもの川と、それによって削られてできた山と谷が多い地域です。
しかし人を拒絶するような険しい山岳地というわけではなく、比較的なだらかな斜面はブドウ栽培にとってもっとも重要な日当たりと水はけの良さを確保してくれています。
この付近はブルゴーニュ地方のシャブリ/オーセロワ地区と同じく大昔は海だった土地で、貝などが堆積・化石化して生まれた石灰質の豊富な土壌が特徴です。
その白く柔らかい地質は、まるでチョークのようとも言われます。
緯度が非常に高いため、全体的に気温の低い冷涼な気候帯です。
年間の気温差は少なく冬に極端な寒さに見舞われることはないものの、南方の暖かい地域に比べると酸のはっきりした繊細なブドウが育ちます。
日照時間はボルドー地方やブルゴーニュ地方に比べると少なめなのですが、斜面の助けもありブドウの育成に支障が出るほど短くはありません。
雨量、降雨タイミングも申し分なく、古くからそうであったようにワイン用ブドウの栽培に有利な環境にあるといえるでしょう。