ブドウ栽培は害虫や病気との闘い ワイン用ブドウの育成その3

目次

害虫 フィロキセラ、イモムシ、吸汁虫類など

 ブドウの樹につく害虫といえば、フィロキセラ(ブドウネアブラムシ)が真っ先に思い浮かびますが、防御方法の確立した現代では被害はほとんどでなくなりました。
ただ、フィロキセラ自体が絶滅したり無効化できたわけではないので、耐性のある品種の台木を使用せずに種や挿し木で栽培を始めると、今でも被害が発生する可能性はあります。
実はヨーロッパで被害が沈静化したあと、日本に輸入された苗にフィロキセラがついていて同じように絶滅寸前まで被害が拡大したことがありました。
今のところ台木を使用せずにリスクなくブドウ栽培ができるのは、フィロキセラの住めない砂漠に近い砂地の畑だけになっており、世界のブドウ畑全体の1%にも満たない範囲です。

 ブドウには他の害虫もつきますが、ヨーロッパ諸国、特にフランスでは封じ込めのための薬剤散布が義務付けられていることもあり、あまり大きな被害になることはありません。
自然な状態で害がある可能性のある虫としては、葉を食べてスケルトン上にしてしまう羽虫の幼虫、枝の中に住み着いて新梢を枯らしてしまうイモムシ類、芽や蕾、果実の汁を吸って劣化させたり枯らせてしまうアブラムシなどの吸汁虫類などがあげられます。
また、病害を媒介するバッタなどの昆虫・羽虫も存在し、フランスなどにおいては(フィロキセラの教訓もあって)こちらの駆除のほうに力を入れているようです。

病気 べと病、灰色カビ病、晩腐病など

 現状、ブドウ栽培で被害が多いのは、害虫よりも病気であるといえます。
フィロキセラなどの致命的な破壊力はありませんが、ウイルス性やカビ菌による病害は予防で完全に封じ込めることは難しく、わずかな気温や湿度の変化によって容易に発症します。

病気の種類は地域によっても異なりますが、湿度が高すぎることによるべと病や灰色カビ病などはだいたいどの産地でも共通して起こる、やっかいな病害です。
べと病は葉に褐色の斑点やふわふわした白い綿のような菌糸が発生する病気で、葉の機能障害や枯死を引き起こし、光合成を阻害します。
ひどくなると樹全体の育成不良や、栄養不足による果実の落下などに発展することもありますが、そこまで悪化せずとも糖度不足などの原因になるため、できるだけ軽症のうちに取り除く必要があります。
灰色カビ病は主に花蕾や果実につくカビ菌由来の病害で、その名の通り灰色のカビが果房全体を覆って腐敗したような姿にしてしまいます。
蕾に発症した場合は開花しないか、しても腐敗して落下します。
果実に発症した場合、タイミングや広がり方が適切であれば貴腐ワインの原料となる貴腐ブドウとして利用することもできますが、基本的には変質・腐敗して、ワイン造りには使用できない状態になります。
どちらも一度発症してしまうと、他の枝葉に移っていきなかなか被害を食い止められなくなるため、気温が上がり始める春~初夏の予防が非常に重要です。
本来は十分な風が吹いて湿気が畑にたまらないことが最善の予防になりますが、これは(巨大サーキュレーターでも導入しない限り)自然任せになってしまうため、被害を確認した葉や蕾をこまめに取り除いたり、少しでも風通しを確保するために雑草を刈り取るなど、地道な作業が中心になります。
また、それぞれの菌に対して効力を発揮する薬剤の散布も行われますが、こちらは近年の減薬農法の拡大に合わせて少しずつ見直されるようになってきているようです。

 また、晩腐病(おそぐされびょう、ばんぷびょう)や黒とう病など、ブドウの枝先や巻きひげなどの中に潜伏するタイプの菌類による病害も注意すべき病気の一つです。
どちらも枝の中で越冬し、5月前後の暖かい時期に眠りから覚め、雨のしずくに乗って葉や果実へとうつっていきます。
一度病変として発症すると、他の病気と同じように他の葉や枝、実へとどんどん感染が広がっていってしまいます。
特に晩腐病は、まだ未熟な状態の果実に感染すると多少の黒変が見られるものの実が色づいてくるまでおとなしく潜伏し、収穫間近の時期に変色・腐敗・育成不良・ミイラ化などの猛威を振るうという、生産者に対しての嫌がらせとしか思えない発病の仕方をする恐ろしい病害です。
ヨーロッパのブドウ畑ではこれらの病気を予防するための伝統的な手法として、秋にその年の結果枝や結果母枝を剪定する予備剪定の際には、切り落とした枝はすべて焼却処分することになっています。
この時期にブドウ畑を見に行くと、畑のあちこちで枝を燃やす移動式の炉の煙が立ち上っている光景を見ることができます。

 技術が発達し、科学的なデータに基づいた各種農薬が開発されている現代でも、害虫や病気を完全に排除してしまうことはできません。
自然の恵みを享受し、自然の脅威から作物を守るためには、常に異変に目を光らせてなにかあれば対処を行うという絶え間ない努力が求められるのです。