カンパーニャ州 南イタリア1

目次

カンパーニャ州(Campagna)とは

 カンパーニャ州はイタリア半島南部の西側、ブーツ型の半島のすねから甲に当たる部分に位置する州で、ラツィオ州(Lazio)、モリーゼ州(Molise)、プーリア州(Puglia)、バジリカータ州(Basilicata)と州境を接し、地中海(ティレニア海)に面しています。
北部から南東にかけてはアペニン山脈が連なり、イタリア半島の他の州と同じように平地が少ない地形です。
海側は海洋性の温暖な気候を有し、ローマ以前の時代からブドウはもちろん他の農作物の栽培も広く行われてきました。
しかしその土壌の豊かさがあまりに魅力的過ぎたため、イタリア統一が成るまで支配権争いに巻き込まれ続けてきた地域でもあります。
また、中央集権的な支配を長く受けてきたことから、それに対抗する勢力としてマフィアが強大化した土地でもあり、イタリア全体でみても特にその影響力が強いとされています。
地質的にも気候的にもワイン造りに非常に適した土地であり、長い歴史を持つワインがいくつも残っています。
ただ、ワインの主要な産地は主に北部に偏っており、中心から南側ではほとんど見られません。
ナポリの東側にはポンペイ遺跡で有名なヴェスヴィオ火山があり、そのふもとでもブドウ栽培が行われています。

カンパーニャ州のワインに関する歴史

 豊かな土壌と温暖な気候に恵まれるこの土地でブドウ栽培が始まったのは、イタリア半島の中でも特に早い時期であるとされています。
現在の州都でもあるナポリはもともとギリシャ人の作った「ネアポリス」という都市国家がもととされており、成立は紀元前6世紀頃。
ローマによって征服される頃には、いくつも有名な産地があるほどワイン生産が盛んになっていました。
実際、タウラージ(Taurasi)やアリアニコ・デル・タブルノ(Aglianico del Taburno)など、今も残る主要なDOPワインの中にはローマ以前のエトルリア人時代から造られているものや、ローマ帝国内で高い評価を得ていたなどのエピソードを持つものが少なくありません。
ローマ帝国が東西に分裂した後は、ランゴバルド王国や東ローマ帝国などが入れ替わり立ち代り支配権を交代し、他の地域と同じように混乱の時代を迎えます。
そして12世紀、フランス北部からやってきたノルマン人が南イタリアを征服してシチリア王国を建国。
その後は支配権の変更こそ頻繁にあれど、19世紀になるまで中央集権的な体制が続きました。
初期の頃こそ当時のヨーロッパでもっとも国際化された地域として興隆し、ブドウ品種やワイン造りにもギリシャや東方諸国の影響を受けるなどの発展がありましたが、数世紀もしないうちに衰退し混乱が始まります。
特にスペインのアラゴン王家による支配期間は厳しい搾取が行われ、ワイン文化を含めた様々な面での発展がイタリア北部よりも大きく遅れたといわれています。
有力な地主が生まれず耕地の拡大や分散が起こりにくかったことや、政治的な中心地として発展したことも、ワイン産業の発達という面ではハンディになったと言えるでしょう。
しかし、もともと気候的・地質的に適性があったことから、ワイン造り自体は断絶せずに順調に受け継がれ、イタリア統一を迎えることになります。
統一後は重化学系の産業がナポリを中心に盛んになりますが、それを取り囲むように広がる畑では今も良質なブドウが栽培されています。

カンパーニャ州のワイン造り

 カンパーニャ州では非常に古くからの長い歴史を持つワインがいくつも残っています。
これはもちろん、それだけ昔からブドウ栽培とワイン造りに適した土地として発展してきたためでもありますが、ナポリ王国時代に産業や文化の進歩が遅れ、ブドウの品種改良、産地の更新などが起こらなかったことも原因のひとつと言えるでしょう。
イタリアの他の地域と同じようにこの地方でしか栽培されていない品種のブドウも多いのですが、そのブドウ自体が「エトルリア人時代から受け継がれている」「エトルリア人のあとローマがやってくるまで地域を支配した民族によって植えられた」というケースが少なくありません。
その関係もあってか、DOCG級のDOPワインの数はこれだけテロワールに恵まれているにもかかわらず4つだけ。
DOC級のワインはそこそこ多いのですが、ほとんどが地元で住民や観光客によって消費されてしまうため、知名度もいまいちです。
ただし、優れたワインのポテンシャルは高く、「南のバローロ」と呼ばれるほど濃厚で凝縮味のある赤ワイン「タウラージ(Taurasi)」や、長期間の熟成にも耐えられるしっかりとした白ワインとして知られる「フィアーノ・ディ・アヴェッリーノ(Fiano di Avellino)」など、南イタリアを代表する高評価のワインもあります。
近年では醸造技術や設備の改良も進んでおり、有数の観光地として地域的な知名度は高いことから、少しずつ注目を集めるようになってきています。