ドイツの地域データ 位置、歴史、気候など

目次

ドイツとは

ドイツは、西ヨーロッパに位置する連邦制共和国です。
ヨーロッパのワイン生産国の中ではもっとも北部に位置する国のひとつで、西でフランス、ルクセンブルク、ベルギー、オランダ、北でデンマーク、東でポーランド、チェコ、南でオーストリア、スイスと国境を接し、北海とバルト海に面しています。
ブドウの樹の栽培が可能な地域の北限にあたる高緯度地域ですが、北海の暖流や南から吹き込む暖かい空気、そしてライン川をはじめとする河川の恵みによって、良質なブドウが生産されています。
ドイツでワイン造りが始まったのはローマ帝国時代のことで、南西部のモーゼル川周辺では今でも伝統的なブドウ品種が栽培されています。
しかし、近世から現代に至るまで繰り返された戦争と混乱によって、多くの産地とワイン造りの伝統は一度失われてしまいました。
第二次世界大戦後は他の産業と同じく目覚しい復興を遂げつつありますが、いまも方向性や栽培品種などの面で試行錯誤が続いており、古い歴史を持つ代表的なワイン生産国の中では例外的に赤ワイン・白ワインの比率や品種ごとの栽培面積が大きく変動しているとなっています。
寒冷な気候をもつドイツでは、川面からの照り返しや霧、急斜面などの力を借りてブドウ栽培が行われています。
国際的には主に白ワインで知られていますが、近年の需要や栽培技術・設備の向上によって、近年では赤ワインの比率が増えてきています。

ドイツのワインに関する歴史

ドイツの歴史概略

  • ドイツでのワイン造りの始まりはローマ帝国時代で、3世紀頃には名醸地として知られるようになっていた
  • 神聖ローマ帝国では地方領邦統治のためにキリスト教の司教を頼っており、彼らの世俗的な権力を増大させる活動の一環としてワイン造りも拡大した
  • 16世紀から始まる宗教改革がカトリック教会の力を弱め、その後数世紀に渡って続いた戦争や混乱によってドイツのワイン産業は一度大きく後退した
  • 歴史あるワイン産地の中では例外的に伝統しがらみが薄いため、第二次世界大戦後は需要やテロワールに合わせたワイン造りで再起し、現在も更なる回復の道を模索している
西暦前に始まるワイン造り

現在のドイツ領の中で、最も早くブドウ栽培、そしてワイン造りが行われるようになったのは、モーゼル川上流のトリーア周辺であるとされています。
紀元前1世紀頃にカエサルのガリア遠征によってローマ帝国の領土となったあと、都市としての整備が行われ文化的にもローマ化が進み、ワイン文化も浸透していきました。
ローマ人によって最初に栽培が始められたのは、他の地域と同じように黒ブドウ品種だったといわれていますが、ドイツの寒冷な気候ではイタリア半島や現在のフランスに当たる南の地域のようにはうまく育たず、次第に白ブドウ主体へとシフトしていきます。
ドイツの主要ワイン産地(アンバウゲビート(Anbaugebiete))の「モーゼル(Mosel)」に属するベライヒ(Bereich)のひとつである「オーバーモーゼル(Obermosel)」では、現在でもこの頃に栽培されるようになった伝統的な白ブドウ品種「エルプリング(Elbling)」を使用したワイン造りが行われています。
テロワールにあった品種を栽培したことで、生産されるブドウ、そしてワインの品質も向上し、ローマ帝国末期の4世紀頃には良質な白ワインの産地として広く知られるまでになっていたようです。

キリスト教化と共に進むワイン文化の広まり

東西に分裂したローマ帝国のうち、西ローマ帝国が消滅した後、西で成立したフランク王国による侵略とキリスト教化が始まります。
フランケン地方を中心とした教化活動は数世紀続き、9世紀初頭にはほぼ全域に行きわたりました。
ローマ帝国の崩壊によって一度は停滞しかけたワイン文化も、ワインを重要な教義や儀式と結びつけ重視するキリスト教の布教が進んだことで再度定着することとなりました。
そして、10世紀(説によっては9世紀)、中・東フランク王国の領土を受け継いだ神聖ローマ帝国が成立します。

神聖ローマ帝国時代のキリスト教

神聖ローマ帝国は、当然ながら神聖ローマ皇帝によって統治される国でしたが、この皇帝の戴冠権はローマ教皇が持っていました。
また帝国成立時には、フランク王国の分裂後に王位を巡って起こった混乱によって地方領主たちの権力が増大しており、皇帝の支配を強固なものとするためには各地の司教たちの協力が不可欠でした。
そのため、王による中央集権的な支配を行った他の国と異なり、全体的な統治権は神聖ローマ皇帝が持つものの、その権利の維持と行使にはキリスト教会の支持が必要という特殊な支配体系になっていました。

キリスト教とライン川沿いのワイン産地

ワイン造りにおいても、ブドウ畑の開墾やワイン文化の普及、発展を主導したのは、キリスト教の教会や修道院でした。
ただし、フランスでのそれが世俗的な権力との癒着を嫌った修道士によるストイックな信仰活動の一環だったのに対して、神聖ローマ帝国では商業活動と権利の拡大という真逆の動機が中心となります。
特に14世紀以降、フランスの商業や政治の中心地がシャンパーニュ地方周辺から西へ移動した後は、ライン川が物流や産業の要となり大きく発展していきます。
現在の主要なワイン産地の多くがライン川沿いに存在するのは、ブドウの栽培に適したテロワール以外にもこうした政治的・経済的な理由があったのです。

宗教改革がもたらす混乱

しかし、16世紀にはいると状況が大きく変わります。
マルティン・ルターの提言によって始まる宗教改革がその発端です。
あまりにも世俗化したカトリック教会を問題視し、より聖書の教義に沿った活動をするべきとする新しいキリスト教徒はプロテスタントと呼ばれ、次第に周辺各地へと広がっていきました。
それは本来は信仰に関する宗教的なものでしたが、政治や支配体系にキリスト教が大きく関与していた、というより司教や大司教といった教会上層部がそのまま大きな権力を握っていた神聖ローマ帝国では、より複雑な意味を持ちました。
従来の教皇や皇帝が介入してくる支配体系を否定してくれるプロテスタントの考え方は、領主たち、特に有力な領土を持ち独自の統治を行いたい者にとって非常に有益なものだったのです。
プロテスタントに改宗する地域が増えていくにしたがって、当然ながらカトリックにとどまる地域との対立も強まり、いつしか国を超えてヨーロッパ中を巻き込む大きな問題へと発展していきました。
そして最終的に1618年から1648年に及ぶ30年戦争が引き起こされるのです。

30年戦争以降のワイン文化の後退

30年戦争が神聖ローマ帝国にもたらした被害は甚大で、国土は徹底的な破壊を受け、人口が半分以下にまで減少してしまったとも言われています。
講和条約として結ばれたヴァストファーレン条約では、神聖ローマ皇帝の権利が大きく削減され、各領邦は司法や外交権まで持つ領邦国家とされました。
領邦国家同士は覇権を争うようになり、それによって疲弊していたところにナポレオンの侵略が追い討ちをかけます。
これによってカトリック教会や修道院の力が大きくそがれ、戦争による被害ともあいまってワイン文化を大きく後退させることとなってしまいました。

ヨハニスブルク城で発見された遅摘み

ただし、この間にドイツのみならず世界のワイン造りに大きな影響を及ぼす発見もありました。
1775年にラインガウ(Rheingau)のヨハニスベルク城で発見された遅摘みブドウによるワイン造りです。
これは、この年の収穫開始の伝令が悪天候で遅れ、通常よりも長く樹上に残ることになったブドウを使用したワインがおいしかったことで発覚した手法でした。
まだ酵母による発酵のメカニズムなどが科学的に解明される前のことでしたが、高緯度地域であるがゆえに果汁糖度の上昇に苦心するドイツでは画期的な手法として利用されるようになり、現在では世界中で見られるようになっています。

20世紀後半に再起したドイツワイン

いくつかの進展はあったものの、ドイツ統一に関わる小競り合いやフィロキセラ災害、2度にわたる世界大戦などによって、ワインを含むドイツの国内産業は不安定な時代が続き、ようやく一応の安定を得たのは20世紀後半になってからでした。
東西に分裂した西側では、経済的な発展もあって再びワイン造りが盛んに行われるようになっていきましたが、それでも栽培面積は15世紀までに比べるとかなり減少したままになっています。
しかし、古い歴史のある伝統が一度廃されたことによって、「量より質」の生産方針へ舵を切りやすかったことや、土着品種に過度に縛られず需要やテロワールとの適性に合わせて使用するブドウを柔軟に変えられるなど、良い影響もありました。
実際、西暦前から続く長い歴史を持つワイン産地の中で、ドイツほどブドウ品種ごとの栽培面積や生産されるワインのタイプが、近年になって急激に変化した国はありません。

ドイツワインの今後

価値観の多様化やワインの生産地・消費地の変化によって、勢力図も大きく書き変わりつつある現代のワイン業界において、ドイツワインがどのような位置を占めるのか。
ある意味では、旧世界と新世界両方の側面を持つ産地とも言えるドイツのあり方は、今後も注目に値するといえるでしょう。

ドイツのテロワール

寒冷な気候

ドイツはヨーロッパのワイン産出国の中でももっとも北に位置する国のひとつです。
ワインの主要な産地であるアンバウゲビートは南西部に集中していますが、一番北側の幾つかの地域は、ブドウ栽培の北限とされている北緯51度線上に位置しています。
そのため気温は平均的に低めで、最南部のバーデン(Baden)以外の地域は、全てEUの定める気候区分で一番寒冷な「Aゾーン」に属します
ブドウ栽培が行われているのは、大西洋の暖流や山脈の谷間の影響で暖かい空気が流れ込む地域、そしてライン川をはじめとする河川の恵みを得られる地域に集中しています。
特に川沿いは、長い年月をかけて形成された急斜面、川面からの照り返しや放射熱、立ち上る暖かい霧など複数の条件が重なり、良質なブドウ産地として知られている地域が多くなっています。

白ブドウを育む多彩な地質

ドイツではコイパー(泥土)黄土雑色砂岩砂礫質土壌など多彩な地質が見られますが、そのなかでも際立って特徴的なものとしてムッシェルカルク(Muschelkalk)粘板岩(スレート/Slate)が挙げられます
ムッシェルカルクは太古の貝殻などが堆積した石灰質土壌で、その地域がまだ海底にあった白亜紀や三畳紀の地層に含まれます。
フランスの白亜土壌などと同じく密度の高い石灰質土壌で、ミネラル感たっぷりのブドウを育てることができます。
粘板岩は強い圧力によって変性した堆積岩で、板状の非常に固い地質のひとつです。
強固なものは岩石と同じく根を張りづらいというデメリットがありますが、保水性が低く太陽光を吸収して夜間の保温に役立つなどの性質があるため、適度に風化が進んでいる場合はドイツのような寒冷地でのブドウ栽培には非常に適した地質となります。

急斜面を利用したブドウ畑

一部例外を除いて丘陵地や川沿いにワイン産地が集中するドイツでは、畑は主に斜面を利用したものとなっています
特にライン川やその支流で高緯度地域に属する産地の場合は、かなりの急斜面に造られた畑も多く、勾配率67%という世界一傾斜のきつい畑もドイツにあります
こうした畑では表土の流出が無視できない問題となるため、下草を残したりあえて無害(もしくは有益)な種類の植物を育てて土壌流出を防ぐ「ベグリューヌング(Begrunung)」という栽培法が取られることもあります