ボルドー地方とは ボルドーの地域データ 位置、歴史、気候など

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ボルドー地方とは

 ボルドー(Bordeaux)は、フランス南西部にある人口25万人前後の都市の名前です。
しかし、ワインに関してはその周辺に存在するワインの名醸地を含めた、地方としての認識の方が圧倒的に大きいでしょう。

ボルドー地方は、広義ではフランス、ジロンド県全域を指し、狭義では県内に流れる東のドルドーニュ川と西のガロンヌ川、そしてその二つが合流し大西洋へと流れ込むジロンド川の両岸の地域群を指します。
(都市としてのボルドーは、ガロンヌ川の下流に向かって左岸、ジロンド川に合流する少し手前にあります)

ボルドー地方の主なワイン生産地は、ジロンド川の左岸の「メドック地区」、その南に位置するガロンヌ川左岸の「グラーヴ地区」、ガロンヌ川の左右に位置し、一部がグラーヴ地区に囲まれている「ソーテルヌ・バルサック地区」、ドルドーニュ川右岸の「サン・テミリオン、ポムロール地区」、ドルドーニュ川とガロンヌ川にはさまれた「アントル・ドゥ・メール地区」などです。

ブドウ栽培面積は約1175平方キロメートル。
日本で言うとちょうど京都府とほぼ同じくらいのこの地域内に、8000軒近くの生産者がひしめいているのです。

ボルドー地方の歴史

  • フランスのワイン産地の中では後発の地域で、12世紀までは重視されていなかった
  • 1152年にイギリス領となったことでイギリスの市場で優先的に販売できるようになり、急激に開拓と発展が進む。
  • 後に貴族や富裕層向けに高級化したことで、歴史の裏づけと資産的価値から絶対的な地位を獲得し、今に至る。

 ボルドー地方は、ローマ帝国時代から良質なブドウとワインの生産地として名を馳せ、4世紀にはキリスト教の大司祭が常駐するような重要な地域として扱われていました。
ローマ帝国が滅んだあとは、イスラム帝国の侵攻を受け、一時占領されたりもしています。

そして1152年、当時のボルドー地方を含む「アキテーヌ地方(公国)」を支配していたアキテーヌ公アルエノールが、当時のフランス国王ルイ7世と離婚しイギリス、プランタジネット家のアンリ・プタンタジュネと結婚。
後にアンリがイギリス・プランタジネット朝の初代国王ヘンリー2世となったことで、フランス南西部に飛び地のように「イギリス領アキテーヌ地方」が誕生します。

この後、百年戦争で1453年にフランスが取り戻すまでイギリスの支配下で発展したボルドー地方は、フランス領に戻ったあともイギリス寄りの姿勢を保ち続け、イギリスの特に貴族など支配者階級もボルドー産のワインを優遇しました。
そのため、良質なワインの中でも特に超高価格帯の市場が存在したことから、フランス国内の他の地域よりも早く高級ワインの生産が本格化したとされています。

その高級ワイン産地としての地位は、1855年の第一回パリ万博の際に政府公認のメドック地方生産者格付けが発表されたことで確固たるものとなり、現在に至るまでフランスでも最も信頼できる生産地として尊敬を集め続けています。

ボルドー地方のテロワール

 ボルドー地方は大西洋近くに位置するため、冬の寒さはあまり厳しくない代わりに夏に暑いという海洋性の気候を持っています。

ブドウ産地にしては雨も多く、平均降雨日数は年間160日ほど。
ブドウの収穫が終わった11月から2月にかけてが最も多く、逆に収穫直前の7、8月は少なくなりますが、暑さが突然の豪雨をもたらすことも珍しくありません。
ブドウ栽培にとっては大きな問題となりうるこの気候的特徴にも関わらず、ボルドー地方の生産者が良質なブドウを収穫できるのは、降雨量をものともしない非常に水はけの良い土壌と、年間2000時間を越える日照時間のおかげだとされています。

ボルドー地方のワイン産地はドルドーニュ川、ガロンヌ川、そしてジロンド川の周辺に集中しており、川の流れによって運ばれてできた、砂利や砂礫、石灰岩などの水はけの良い地層を持っています。
これらが降り注いだ雨をとどめることなく透過させるため、ブドウの樹は安定した水分の供給源を求めて地中深くまでしっかりと根を伸ばすのです。

また、ワイン用品種のブドウは年間1200~1500時間の日照を必要とするとされていますが、それを優に超えるボルドーの日照はブドウに十分な糖や多種多様な香味成分を与えます。
2000年以上も揺るがないボルドーの評判は、こうした地理的・気候的好条件によって支えられているのです。