ヨーロッパにおけるワインの近代化 科学技術の功績と特権階級の退場 (A.D.1600~A.D.1900頃)
新世界でのブドウ栽培やワイン造りが次々と本格化する中、ヨーロッパでもワインに関する大きな変革が起こります。
まずは容器と保存方法についてです。
15世紀頃からワインの容器として活躍していたガラス瓶ですが、製造法が17世紀に改良され、耐久性が大幅に向上しコストも下がりました。
また、それまでは丸めた布や蝋で栓をしていましたが、ガラスの改良と同時期にコルク栓が利用されるようになったことで、気密性の高い状態で保管しておくことが可能になり、瓶詰め後の長期熟成が一般的になります。
これによって、長期間の瓶熟成を必要とするタイプのフォーティファイドワインや貴腐ワインなどが生まれることになりました。
また、強固な瓶と高い気密性を求められるスパークリングワインが発明され、イギリスで大流行したのもこの頃です。
種類の多様化や長期保存が可能になったことにより、消費者の嗜好も複雑化していきます。
特に貴族などの上流階級においては、より新しいもの、より珍しいものが好まれるようになり、それがいっそう製法や味わいの細分化を進めました。
単純な嗜好品の枠を超えた、非常に貴重で高価なワインという概念も、この頃生まれたとされています。
18世紀には都市部の人口が増え、社会的にも近代化が進みます。
この頃のフランスでは、ワインには現在の酒税に当たる税金のほか、教会に収める十分の一税や都市に運び入れる際の入市税など複数の高い税金がかけられており、一般市民は市の外壁の外に作られた安居酒屋(ガンゲット)で、価格を安くするために水で薄めたワインや品質の低い廉価なワインを飲まざるを得ませんでした。
近代的な社会学や経済学が広く認知され、王族や貴族など一部の特権階級への不満が高まる中、民衆の怒りはこのワイン税に対しても向けられます。
1787年にフランス革命がスタートすると、ワインに関する税の撤廃が強く要求されるようになりました。
当時のフランスは度重なる戦争や失政によって財政難に陥っていたため、国王や貴族は当然この要求を受け入れたがりませんでしたが、1789年のバスティーユ襲撃やヴェルサイユ行進など過激化する革命運動に抗いきれず、1791年にワインに関する全ての税が撤廃されます。
また、特権階級のひとつであったキリスト教の聖職者たちからは財産が没収され、革命によって樹立した新政府によって競売にかけられました。
この財産の中には、それまで教会が所有してきたブドウ畑も含まれており、特にブルゴーニュでは所有者の変更と畑の細分化が進みました。
これらの動きによって、フランスのワインはあらゆる意味で特権階級のものから一般市民のものへと、その性質を大きく変えることになったのです。
科学の発展もワイン産業に大きな変化をもたらします。
19世紀に、パストゥール教授によって開発された低温殺菌法(パストゥリザシオン、パスチャライズ)は、それまで一定の確率でワインをダメにし大きな損害を与えてきた腐敗や腐造の問題を解決しました。
これは顕微鏡の発明などによる細菌学の成立が関わっています。
また、ナポレオンの内務大臣を務めたジャン・アントワーヌ・シャプタルは、ブドウ果汁の糖度が足りずに発酵不全を起こすワインに、糖蜜を添加して発酵を促す補糖(シャプタリザシオン)の技術を確立し、革命直後の混乱期にワイン生産が滞るのを防ぎました。
18世紀にスタートしていた産業革命によって印刷技術が向上し、ワインのラベルが現在のようなものになったのも19世紀です。
パリ万博でボルドーワインなど高価値ワインの公式な等級が発表されたことから価格帯の幅が広がり、ブランドワインの偽物が出回るようになってしまったため、当時は手書きよりも偽造の難しかった印刷ラベルを本物の証明書のように使用したのです。
ワインは社会や文化に深く根ざした飲み物であるため、近世から近代にかけてはヨーロッパ社会の変動に合わせてワインも大きな変化を経験しました。
しかし、生産者が変わり、栽培法や醸造法が変化しても、人々がワインを愛することに変わりはありません。
奪い合いや争いの結果として一時的に後退することはあっても、基本的にブドウ栽培やワインの醸造技術は、拡大と発展を続けてきました。
ただし、相手が人間ではなく大自然の場合はどうでしょうか。
19世紀半ば、ワイン文化は史上最悪の試練に直面することになります。