中央イタリア イタリアのワイン生産地2

目次

中央イタリア

 中央イタリアは、イタリアを地理的・歴史的観点から三分割した際の中央付近を指す名称です。
一般的には

の6州を指します。
ただし、歴史的な観点から評価する場合は、アブルッツォ州とモリーゼ州を除外するケースや、そもそも南北に二分するだけで中央イタリアという分類を行わないケースもあります。
ローマ帝国時代に中心的な役割を果たしていた地域や、中世には教皇領としてキリスト教会から厚い保護を受けていた地域が中心になりますが、州によっては12世紀からずっと南イタリアの各州と同じようにシチリア王国(ナポリ王国)の被支配地域だった土地もあり、北側か南側かで歴史も文化も大きく異なっているのが特徴です。
緯度的な条件や海からの近さ、火山を含む高山の存在などからブドウ作りに適した地域が多いのですが、中央に近い地域では芸術や金融など他の産業が発達し、ワイン造りについては北部の主要な州に比べて発展が遅れた産地が多いようです。
また、特に南側の州では各勢力との争いが長く続いていたことが、安定したワイン文化の醸成を妨げてしまいました。
その結果、ワイン造りに関しては中央イタリアの各州は南北に比べて影が薄くなってしまっています。
近年では「量より質」の方針が主流となり、イタリア全体がワイン産業を重要視するようになってきてもいることから、少しずつテロワールの真価を示すような高品質なワインが造られるようになってきています。

中央イタリアのワイン造りに関する歴史

ローマ帝国までの繁栄と混乱期の教皇領

 中央イタリアは気候的、地理的な条件から発展し始めた時期が比較的早く、西暦前800年頃にはすでにラテン人やギリシャ人、そしてエトルリア人など多くの民族が集落や都市を作っていたとされています。
ワイン造りも古くから行われており、恵まれたテロワールが育む中央イタリアのワインはローマが拡大を始めるずっと前から各地でその名を知られていたようです。
そしてローマが周辺地域を征服・属国化し、ただの都市国家から帝国へと成長していく中で、さらにブドウ畑の開拓や技術の向上が進められていきます。
しかし、5世紀にはいってローマ帝国が東西に分裂すると状況は一変してしまいます。
地理的にも政治的にも重要性の高かったイタリアは、11世紀頃まで全土が長い混乱の時代を経験しましたが、その中でもローマなど重要な地を多く抱え南北の境界線になることの多かった中央イタリアの荒廃はすさまじく、いくつもの産地が失われ、もしくは大きく衰退することとなりました。
この時期にワイン造りを守ったのは、教皇領周辺では主に修道士達、辺境では地方を守る貴族達であったとされています。
この差はその後の(ワイン産業を含む)文化の特色へと繋がっていきました。

南北で格差が表れる

 長い混迷の時代が落ち着きを取り戻してきた12世紀以降、北側・南側・教皇領はそれぞれ異なる動きを見せるようになります。
アドリア海やティレニア海など地中海を舞台とした交易や金融などによって発展した北側の地域では、商人や有力な地主が力をつけていくつものコムーネ(Commne)が台頭しました。
コムーネごとに独自の文化が発展した他、小作人が地域全体に広く散らばり、産地や生産量が拡大していきます。
ワインが(品質はともかく)一般庶民にも流通するようになったことから、食事の際にワインを飲む文化も定着することとなりました。
一方、南側の地域は12世紀に成立したシチリア王国によって支配を受けることとなり、19世紀にイタリアが統一されるまで長期間中央集権的な体制におかれました。
個々の地域が富裕化することがなかったためワイン文化の発展が遅れ、教皇との対立や諸外国との争いから居住地や生産地の拡大も起こりにくくなってしまいます。
実際、南側の地域ではこの頃からイタリア統一の機運が起こる18世紀まで、文化的に見るべき発展はほとんど無かったとする研究者もいます。

教皇領の発展とワイン産業の停滞

教皇領の周辺では、キリスト教が拡大しヨーロッパ全土から富が集まってくるようになったため、経済的に急激な発展が起こります。
各国の勢力との権力闘争などもありましたが、金融業とそれを基盤とした芸術・学問の成長はそれをものともしない勢いで、ワイン文化もそれにあわせて発展します。
ただ、フランスなどではキリスト教修道院が主体となったブドウ畑の開拓は非常にストイックなものでしたが、中央イタリアではどちらかというと権力者や富裕層に向けた商業的なものとなったようです。
そのため、ルネサンスや宗教改革が始まる頃には、他の産業に押されてワイン産業は相対的に影が薄くなってしまいました。
結果として、現在のトスカーナ州を除く地域では、量的にも質的にも大きく注目されるようなワイン生産地がほとんど育たないまま19世紀を迎えることになります。

イタリア統一と中央イタリアのこれから

 イタリア統一と前後してフランスでフィロキセラ災害が発生したことなどにより大量の需要が発生したことから、国内のほとんどの産地は「質より量」を基本指針とするワイン造りを行うようになってしまいます。
中央イタリアでも、特に南側の優れたテロワールを持つものの伝統的な有名銘柄を持たない産地を中心に大量生産がおこなわれました。
この方針が改められるのは、イタリア全体と同じく第二次世界大戦の終結以降になります。
地域的な余力や他の産業との兼ね合いから、DOC法が定められた後もDOCG、DOCワインの認定はやや遅れる傾向にありました。
ただ、トスカーナ州では戦時中にひそかに植えられたカベルネ・ソーヴィニヨンの苗木がきっかけとなって、土着品種以外の国際品種を使用したワイン造りが盛んになり、20世紀後半から例外的な急成長が起こりました。
現在では醸造技術の発達や最新機器の導入によってようやく品質の向上も他州に追いついてくるようになり、注目される産地も増えてきています。
テロワールでは有名産地に負けていない地域が多いことからも、これからの発展に期待のかかる地域であると言えるでしょう。

中央イタリアのワイン造りとテロワール

 中央イタリアの各州はウンブリア州を除いて全て海に面しており、ブドウ畑も海側に作られているところが多くなっています。
温暖な海洋性気候と斜面がちな土地は、果実味やミネラル感の豊富なブドウを育ててくれます。
中央付近には火山帯に含まれる土地もあり、石灰岩を含む土壌は土着品種はもちろん国際品種の栽培にも適しています。
それぞれの州にはこの地域でしか栽培されていない独特のブドウ品種もあり、他の州と同じように特徴的なワインが造られている産地も少なくありません。
知名度はあまり高くないものがほとんどですが、その分手頃な価格で手に入る高品質ワインも出てきており、近年注目され始めているようです。