聖書に見るワインの役割

目次

 成立直後からワイン文化と深く結びついて広まってきたキリスト教。
ヨーロッパ全体への普及や、ブドウ栽培、醸造技術の進化において、キリスト教が果たした役割は計り知れません。
では、その教義や聖典とされる聖書の中で、ワインはどういった役割を持ち、どのように描かれているのでしょうか。

最も重要な「聖餐」「ミサ」での役割

 イタリア、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院に今も残る壁画、「最後の晩餐」。
レオナルド・ダ・ヴィンチによるこの名画については、聖書の内容をまったく知らない人でも聞いたことがあるのではないでしょうか。
この絵のテーマとして描かれているのは、イエス・キリストが処刑される前日、罪人として捕縛される直前に弟子たちと過ごした晩餐のエピソードです。

 その日、ユダヤの「過ぎ越しの祭り」の席に弟子たちと共についていたイエスは、無酵母パンを取って「これは私の体を表す」と言って裂いて配ります。
そしてワインを「これは私の血を表す」と言って弟子に飲ませ、「私の記念としてこれを行うように」と命じました。
(マタイによる福音書26:25~28、ルカによる福音書22:19,20など)
この直後、ユダ・イスカリオテの裏切りによって捕らえられたイエスは、次の日にゴルゴダの丘で張り付けにされて処刑されることになるのです。

 キリスト教の成立後、イエスのこの命令は彼の弟子やキリスト教徒たちによって守られ続けることになりました。
「ミサ」「聖餐」など流派によって呼び名は異なりますが、聖書の教えに従って生きることを決めた人々全員でパンとワインを分け合うこの儀式は、キリスト教でもっとも重要な儀式のひとつとなっています。
時代や地域によっては、教会などで行う貧しい人々への施しとしての需要もありましたが、キリスト教会が自分たちでワインを切らさず持つために、自家醸造やブドウの栽培まで始めた大元の理由が、この「聖餐」を執り行うためであったのは間違いありません。
定期的に(流派によっては毎日)ワインを必要とするキリスト教徒にとって、社会情勢や経済状況によってワインが手に入らなくなるなどということは、なんとしても避けねばならない事態だったと言えます。
彼らのこの信仰(もしくは執念)によって、ワインはヨーロッパ全土、そして世界中へと広まっていったのです。

聖書に登場するワイン

 福音書の最後の晩餐がもっとも有名なのは事実ですが、聖書にはそれ以外にもワインがたくさん登場してきます。
どんな場面で使用されているのか、幾つか例を挙げて見てみましょう。

良いものとして

 比喩表現の中でもっとも目立つのは、豊かさや自然からの恵みを表すものです。

どうか、神が 天の露と地の産み出す豊かなもの 穀物とぶどう酒を お前に与えてくださるように。

創世記27:28

わたしは、その季節季節に、あなたたちの土地に、秋の雨と春の雨を降らせる。
あなたには穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の収穫がある。

申命記11:14

彼らに近い人々も、イサカル、ゼブルン、ナフタリに至るまで、小麦粉やいちじくの菓子、干しぶどう、ぶどう酒やオリーブ油、牛や羊の肉など多くの食料を、ろばやらくだ、らばや牛に積んで運んで来た。イスラエル中が喜び祝った。

歴代誌第一12:41

 もっとも古い「創世記」の筆者はモーセとされており、西暦前17~16世紀頃に書かれたとされています。
「旧約聖書」はそこから西暦前4世紀頃までのあいだに書かれた書物で構成されていますので、一般の人々にとってワインは良く知っているものではありつつも、量産したり嗜好品として気軽に飲むことのできるようなものではなかったのでしょう。
この時代の人々には、秋に豊作に恵まれることやそこから(当時の人々にとっては神秘的な理由によって)ワインが生まれることは当たり前のことではなく、神への感謝や喜びに強く結びついていたのです。

 また、聖書には詩的な表現の多い書もありますが、そこでもワインについて言及しているものがあります。

あなたがわたしの心にお与えになった喜びは、穀物と、ぶどう酒の豊かな時の喜びに まさるものでした。

詩篇4:7

すなわち人の心を喜ばすぶどう酒、その顔をつややかにする油、人の心を強くするパンなどである。

詩篇104:15

わが妹、わが花嫁よ、あなたの愛は、なんと麗しいことであろう。あなたの愛はぶどう酒よりも、あなたの香油のかおりはすべての香料よりも、いかにすぐれていることであろう。

雅歌4:10

わたしはあなたを導いて、わが母の家に行き、わたしを産んだ者のへやにはいり、香料のはいったぶどう酒、ざくろの液を、あなたに飲ませましょう。

雅歌8:2

 これらの箇所では、ワインを芳しく好ましいものの比喩としており、喜びや愛を表現するのに使用しています。
ここから、当時の人々がワインについて持っていた非常によいイメージを汲み取ることができるでしょう。

 時が移って、イエス・キリストの弟子たちが彼の活動記録やその後のキリスト教のあり方について書いた「新約聖書」では、ワインはより現実的、直接的な形で文中に出てくることが多くなります。

まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、新しいぶどう酒は皮袋をはり裂き、そしてぶどう酒は流れ出るし、皮袋もむだになるであろう。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。

ルカによる福音書5:37,38

近寄ってきてその傷にオリーブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

ルカによる福音書10:34

料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだしもべたちは知っていた)花婿を呼んで言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。

ヨハネによる福音書2:9,10

(これからは、水ばかりを飲まないで、胃のため、また、たびたびのいたみを和らげるために、少量のぶどう酒を用いなさい。)

テモテへの第一の手紙5:23

 新しいワインを古い皮袋に入れないのは、この時代にはまだ「火入れ(パスチャライズ)」の技術も亜硫酸塩のような添加物もなく、保存容器も甕や皮袋しかなかったため、長期間の保存が利かなかったことに起因します。
今と違い、ブドウを絞ってワインになったらすぐに飲むのが当たり前だったこの時代において、「新しいワイン」というのはまだ発酵が終わっていないくらいのタイミングのものを指し、場合によっては発酵し始めの、どちらかというとぶどうジュースに近いくらいのものも含みました。
当然、ワインの中ではまだ活動中の酵母がアルコール発酵を続けており、炭酸ガスが発生しています。
そんなワインを古くなって弾力を失った皮袋に入れてしまっては、ガスによる膨張に負けて破損してしまうのは間違いないでしょう。
他の福音書の記述を見ても、これは当然の知識として語られており、同じ「ワイン」でも現代とはかなり違うものを飲んでいたことがわかります。

 当時のワインが今以上に生鮮食品に近い、足の速い飲み物であることを考えると、今とは比べ物にならないくらい品質に差があった事が推測できるでしょう。
現代においては、ワインの良し悪しはブドウの品種や栽培方法、果実の出来と醸造家の腕などによって変わりますが、ローマ帝国時代のワインの品質は主に「原料のブドウを搾ってからどれくらいたったか」が左右したと考えられます。
新しいワインが、まだブドウの香りを十分に残した甘くてしゅわしゅわする爽快なお酒だったのに対して、古いワインは発酵が進みきって甘さはなく、たいていの場合酢になりかけていて酸っぱかったり苦かったりしたはずです。
イエスが水をワインに変える奇跡を起こしたとされるのは結婚式の夜でしたから、そんなに品質の低いものが用意されていたわけはありませんが、それでも料理頭がなめただけで(イエスが奇跡で用意したワインのほうが)良いものだと驚くくらいの差があったのも無理のないことと言えます。

 そんな事情でしたから、当時のワインに消毒液の代わりや胃痛に効く薬効があったとは考えにくいのですが(そもそも現代でも醸造酒のアルコール度数で消毒は難しい)、これはワインがどうというよりも清潔で安全な水を用意するのが難しかったためでしょう。
アルコール発酵中のブドウ果汁は雑菌が繁殖しにくく、汲んできてから何日も(場合によってはもっと)経った水や都市部の川の水などよりは安全だったはずです。
現代でも、内陸部の新鮮な水が手に入りにくい国や土地では、水よりもビールなどのほうが安く手に入ることがありますが、これと同じことです。

悪いものとして

 人々の間に広く普及し愛されていたワインですが、ギリシャ時代以降は「酔うこと」はみっともないこととして避けられていました。
聖書の中でも、ワインの「人を酔わせる」側面をもって、悪いものの比喩として描かれている箇所があります。

さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作った。彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。

創世記9:20,21

あなたも、あなたの子たちも会見の幕屋にはいる時には、死ぬことのないように、ぶどう酒と濃い酒を飲んではならない。これはあなたがたが代々永く守るべき定めとしなければならない。

レビ記10:9

そのぶどう酒はへびの毒のよう、 まむしの恐ろしい毒のようである。

申命記32:33

神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。

ヨハネの黙示録14:10

地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている。

ヨハネの黙示録17:2

 世界を一掃した大洪水を箱舟によって乗り切ったあと、ノアは農夫となって葡萄園を作ります。
そこから取れたブドウによってワインを造って、自分でも飲んでいましたが、ある日飲みすぎて酔いつぶれ裸になって眠り込んでしまい、それを末っ子のハムに発見されてしまいます。
酔いから醒めたノアは、ハムが自分の裸を見た事に逆上し、なんとハムとその子、つまり自分の孫であるカナンの子孫が、他の子孫たちの奴隷となるように呪いまでかけたのです。
ノアについてはこのあと950歳で死んだということしか書かれておらず、せっかく大洪水を生き延びるという功績を残しながら、晩節を恥ずかしいエピソードで汚した上に、子孫たちの運命までも変えてしまうという残念な締めくくりとなってしまいました。

 この事件のため、というわけではないのでしょうが、聖書では酒に酔う事に対して注意を喚起するような箇所がいくつも書かれています。
特にワインと「濃い酒(もしくは強い酒)」を分けて書いてある部分には、ワインは良いものなので飲んでも良いとしても、酔わせる酒にはしてはいけない、という当時の倫理観が強く現れていると言えるでしょう。
ヨハネの黙示録では抽象的な表現が中心となりますが、上記の引用部分ではやはり怒りや姦淫など人の理性を失わせるものとワインを結びつけて描かれているようです。

捧げものとしての使い方の取り決め

 酒はその神秘性や人を酔わせる作用から、神事と結び付けられる事の多い飲み物です。
ワインもその例に漏れず、神への重要な捧げもののひとつとしての側面も持っていました。
聖書中にも、その取り扱い方について書かれています。

われわれの麦粉の初物、われわれの供え物、各種の木の実、ぶどう酒および油を祭司のもとに携えて行って、われわれの神の宮のへやに納め、またわれわれの土地の産物の十分の一をレビびとに与えることにした。レビびとはわれわれのすべての農作をなす町において、その十分の一を受くべき者だからである。

ネヘミヤ記10:37

一頭の小羊には、つぶして取った油一ヒンの四分の一をまぜた麦粉十分の一エパを添え、また灌祭として、ぶどう酒一ヒンの四分の一を添えなければならない。

出エジプト記29:40

またその灌祭は雄牛一頭についてぶどう酒一ヒンの二分の一、雄羊一頭について一ヒンの三分の一、小羊一頭について一ヒンの四分の一をささげなければならない。これは年の月々を通じて、新月ごとにささぐべき燔祭である。

民数記28:14

 キリスト教の司祭たちは、受け持つ土地の農民たちに収穫物の十分の一を教会税として納めさせていましたが、これも聖書の記述を根拠としていました。
(後に流派によって扱いが異なるようになる)
他の農作物に比べて(ワインの形にできるので)十分の一税を徴収しやすく、その利用価値も高い事から、教会がブドウの栽培を奨励していた時代もあったようです。
旧約聖書中にはその他捧げものについての規定も多く記載されていますが、こちらはキリスト教では(イエスによってあがなわれたと解釈するため)ほとんど行われていません。
日本でも作物や酒を神社に奉納することは古代から行われてきましたが、聖書ではそこにさらに家畜を焼いて捧げることが定められていました。

日用品としての側面

 ワインは神に捧げられる神聖なものである反面、生活に密着した日用品のひとつでもありました。

自分たちも策略をめぐらし、行って食料品を準備し、古びた袋と、古びて破れたのを繕ったぶどう酒の皮袋とを、ろばに負わせ、継ぎの当たった古靴を履き、着古した外套をまとい、食糧として干からびたぼろぼろのパンを携えた。

ヨシュア記9:4,5

その時、アビガイルは急いでパン二百、ぶどう酒の皮袋二つ、調理した羊五頭、いり麦五セア、ほしぶどう百ふさ、ほしいちじくのかたまり二百を取って、ろばにのせ、従者に命じた。「案内しなさい。後をついて行きます。」彼女は夫ナバルには何も言わなかった。

サムエル記第一25:18,19

王はヂバに言った、「あなたはどうしてこれらのものを持ってきたのですか」。ヂバは答えた、「ろばは王の家族が乗るため、パンと夏のくだものは若者たちが食べるため、ぶどう酒は荒野で弱った者が飲むためです」。

サムエル記第二16:2

わたしは木を切るあなたのしもべたちに砕いた小麦二万コル、大麦二万コル、ぶどう酒二万バテ、油二万バテを与えます。

歴代志第二2:10

 聖書の各書が書かれた西暦前15,6世紀ころから西暦2世紀ころにかけては、ギリシャ、ローマ時代を通じてワインの生産量が増えていた時代で、一部の支配者層だけが独占するものではなくなっていました。
今のように気軽に飲まれていたわけではありませんが、保存の利く飲み物として、もしくは薬としても飲まれており、特に荒野を行き来する人々にとっては大切な必需品のひとつだったようです。
麦や油と併記されている事からも、その重要度や生活へのかかわりの深さを読み取る事ができます。

キリスト教の庇護と支配からの脱却 宗教色の薄れたワインの世界

 聖書が現在の形で成立したあと、ローマ帝国の分裂・崩壊以降も、キリスト教はワインを守り、広めてきました。
ゲルマン人の国に重要な宗教として取り入れられたあとは、より上質なワインを造るアドバイザーとしての地位をより強固にしていきます。
そして、その熱心な研究によってブドウ栽培の技術やワイン醸造が進歩し、聖書の時代よりもより洗練され、価値が高い、量産できるものへと改良されていきました。
彼らの活躍なしに、ワインが「発酵したブドウの汁」から現代の「洗練された酒」へと進化する事はできなかったと言っても過言ではないでしょう。
18世紀まで、この強い影響力による結びつきは途切れる事はありませんでした。

 しかし社会の複雑化や近代化によって、ワインはキリスト教の手を離れる事になります。
18世紀頃から徐々に王や貴族による権力の一極集中的な支配構造が崩壊するのにあわせ、強い影響力を持っていた聖職者たちも権力の座から追われることとなりました。
それと同時に、教会税の徴収やブドウ生産、醸造方法や量の調整などに至るまで全方面に及んでいたワインに対する支配も解かれ、人々は教会の規制なく自由にワインを造ることができるようになります。
ブルゴーニュなどキリスト教の影響力の強い地域の多かったフランスでも、19世紀のフランス革命によって修道院から没収されたブドウ畑が民間へと売られ、以降は個人や企業がブドウ作りを行っています。

 現代でも(少なくとも聖書が聖典であり、ミサが行われ続ける限り)キリスト教にとってワインが重要な役割を持つお酒である事に変わりはありません。
しかし、もはやワインは「キリスト教の酒」という枠から飛び出し、独自の歴史を刻み始めているのです。
政治や支配力といったものへの利用を離れたワインの世界は、その魅力によって世界に広まり続けています。