ワインの日本伝播と普及 日本のワイン飲用史
日本では長らくワインを醸造することはありませんでしたが、飲用の歴史自体は思いのほか古くに始まっているようです。
1186年に勝沼の雨宮勘解由が山中で発見したブドウ「甲州」はヨーロッパ系品種のブドウにルーツがあり、おそらく中国を経由して輸入された苗を栽培しようとして失敗、野生化したものではないかといわれています。
つまり、それよりもっと早い時期に日本でワインを造ろうとした人々がいたということで、当然(国産のものではないにせよ)ワインも飲まれていたと考えることができます。
明確にワインを飲んだと記されている最古の記録は、室町時代後期から戦国時代初期にかけて関白・太政大臣を務めた近衛政家の日記『後法興院記』で、1483年に関白近衛家の人がワインを飲んだという記述があります。
それ以降も、海外から訪れた人々が朝廷や将軍にワインを献上したり、ワインを輸入した記録が残っています。
ただ、日本で一般的にワインが飲まれるようになったのは、醸造開始と同じく明治時代以降でした。
洋食やコーヒーと一緒に、海外の食文化の一端として輸入され、はじめは嗜好品として楽しまれるというよりも、文化的な側面から好奇心によって飲まれていたようです。
実際、明治政府は米を節約するために日本酒にかわる食中酒としてワインを普及させようとしましたが、市場は一向に広がっていきませんでした。
外食ではバターや肉を使用する洋食が食べられるようになったとはいえ、一般家庭の食事はまだ米を中心とした和食だったため、酸味や渋みの強いワインは合わせづらかったのです。
そもそもワインの味わい自体が日本人の味覚には合わず、食中酒としてはもっとも慣れ親しんだ日本酒が完全に競合します。
国産ワインの醸造技術がなかなか向上しなかったこともあり、戦前はブドウの産地で細々と飲まれる程度だったようです。
ただし、例外的に好んで飲まれたワインもないわけではありません。
ワインに蜂蜜や糖類を加えた、甘口ワインです。
本来の甘口ワインは、発酵を途中で止めたりブドウ果汁に蒸留アルコールを加えたものですが、日本で流行ったのは主に輸入した通常のスティルワインに甘味を加えたものでした。
もっとも有名なものとしては、東京・浅草の「神谷バー」や茨城県牛久市の「シャトーカミヤ」の創業者である神谷伝兵衛が、自店で売り出して大成功した「ハチブドー酒」があります。
その名のとおり、蜂蜜を加えて甘くした葡萄酒(ワイン)であり、強い甘みによって酸味や渋みが抑えられるため、当時の日本人にとっても飲みやすかったことから好評を得ました。
後に「蜂印葡萄酒」として製品化したものは海外でも高い評価を得、伝兵衛が売り上げで故郷にブドウ畑とワインの醸造所を購入することができるほどの大ヒット商品となります。
これに他メーカーも追随したことから、戦前の日本では「ワインとは甘いもの」という認識が一般的になっていきました。
(現代も販売されている「赤玉ポートワイン(赤玉スイートワイン)」もこの頃誕生したものです)
二度の世界大戦が終わったあと、徐々に海外の情報に触れるようになっていくことで、日本でもじわじわとワインが飲まれるようになっていきます。
特に東京オリンピックや大阪万博など国際色の強い国内イベントを経て、経済的にも余裕が生まれ始めた70年代以降、以前のようなワインに甘味を混ぜたものではなく本来のワインのおいしさに気付く人が多くなっていきました。
また、外食だけでなく日常の食事も洋風化してきたことで、日本酒からワインやビールへとシフトしやすい環境が整ったのも一因と言えるでしょう。
消費量が増えて市場が拡大したことで、輸入ワインだけでなく国産ワインもその数を増やしてきました。
日本ではなんどかワインブームが起こりましたが、そのうちもっとも顕著だったのが「ボジョレーヌーボー」ブームです。
ボジョレーヌーボーはもともとフランス、ボジョレー地方で飲まれていた新酒で、その年の収穫を祝うワインでした。
フランス国内でもブームが加熱し不完全な状態での早売りも行われるようになったことから、販売開始してよい日時がワイン法によって決まっていますが、日付変更線の関係で先進国の中で日本が一番早く解禁日を迎えることに気付いたメーカーが大きなキャンペーンを展開。
これが大当たりしたことで、日本のワイン消費量は10年ほどで3倍以上にまで激増しました。
最盛期には解禁日の午前0時にボジョレーヌーボーで乾杯をするイベントやパーティが大量に催されたり、「できうる限り早く飲む」ために空港まで出向く人々までいたほどで、それまでワインの取り扱いをしていなかったような町の個人商店やスーパー、コンビニエンスストアでも店頭に山積みにして特別販売を行いました。
現在ではブームも下火になりつつありますが、広い範囲の人々にワインを飲むきっかけを与えたという意味で大きな功績を残したと言えるでしょう。
21世紀に入り、ポリフェノールなど健康のためのワインブームや低価格帯ワインブームの終了から、じわじわと消費量が減少していましたが、ここ数年でまた増加に転じています。
これは、チリを中心とした格安ワインの人気が上がったことや、南アフリカ、アメリカなど新世界のワインも多く輸入されるようになったからとされています。
今まではそれなりの価格を覚悟して、特別なタイミングで飲むものだったワインが、日常の中でカジュアルに飲まれるようになってきているというわけです。
アルコール飲料全体の消費量が減少してきている中、これは驚異的な傾向と言えます。
ライフスタイルも主義や思想も多種多様になった現代。
「みんなと同じ」が意味を成さなくなって大きなブームが起きづらくなった今だからこそ、偏見やイメージに左右されず、自分の感覚と向き合うことができます。
過去最大規模に増えた選択肢の中から、好みの一本を選べる今の日本は、ワイン好きにとって悩ましくも幸せな環境なのではないでしょうか。