南イタリア イタリアのワイン生産地3

目次

南イタリアとは

南イタリアとは、イタリアを地理的・歴史的に3分割した場合の南側の地域のことで、一般的には、

の6州を指します。

特に歴史的な分類の場合は、さらに中央イタリアのアブルッツォ州(Abruzzo)とモリーゼ州(Molise)を含めて8州とするケースもあります。
地中海側に突き出した地理的条件から殖民やブドウの栽培の始まりも早く、ローマ帝国崩壊以降は北部よりもさらに東ローマ帝国やイスラム教国の影響を強く受けてきました。
特に中世以降は、安定して発展した北部と対照的にノルマン人や神聖ローマ帝国、スペイン(アラゴン王国)などの中央集権的な支配を受け、産業や文化の発展が遅滞。
それによってワイン文化の発展にも影響が出ました。

ただし、それによって古い産地やブドウ品種、技法などが保存された地域もあり、北部とはまた違った特色を持ったワインが作られています。
全体的に「質より量」の方針が払拭し切れていない地域が多く、テロワールは悪くないものの現時点でバローロやスーパータスカンのような国際的な高評価を得ているワインはあまり見当たりません。

しかし、20世紀末から進められてきた品質向上の努力が実りつつある産地も少なくはなく、次第に注目を集めるようになってきてもいます。
イタリア半島の他の地域と同じようにほとんどの地域が海洋性の温暖な気候帯に属し、特に西側の州は夏の乾燥というブドウ栽培上の強みを持っています。
ヴェスヴィオ火山やエトナ火山などの近くでは、火山岩や火山灰を多く含む土壌がみられ、ミネラルの豊富なワインが産出されています。

南イタリアのワインに関する歴史

マグナ・グラエキアとローマ帝国

 地中海に大きく張り出し、ギリシャとも地理的に近い南イタリアは、ワイン文化の伝来もイタリアの諸地域の中でもっとも早く、スタートだけであれば紀元前20世紀ころ、本格的に広まるのは紀元前9~8世紀ころと言われています。
現在のバジリカータ州(Basilicata)やカラブリア州(Calabria)を中心に「マグナ・グラエキア(大ギリシャ)」と呼ばれるギリシャ人の一大殖民都市群が形成され、多くの有力な都市がワインの生産量と需要を伸ばしていきました。
ローマ帝国の一部となったあとはどちらかというと辺境的な扱われ方になりましたが、農業の盛んな穀倉地域や地中海への玄関口となる港湾都市として、それぞれ地理的・気候的な条件ごとに様々な役割を果たすようになります。

寛容な支配による繁栄

 ローマ帝国が東西に分裂した後は、東ゴート王国やランゴバルド王国による支配を経て東ローマ帝国が覇権を取る混乱の時代が始まります。
特に8世紀以降は、神聖ローマ帝国の一部となった北部と異なり、ランゴバルド王国系の共和国やイスラム系国家のシチリア首長国などが乱立し、南イタリア独自の歴史を刻み始めることとなりました。
11世紀、フランス北部からやってきたノルマン人による征服が始まり、12世紀にはシチリア島と南イタリア全体を統一してシチリア王国が成立します。
成立直後は文化的・宗教的な寛容性から多くの民族が共存し、当時世界的にももっとも進んだ国のひとつと呼ばれるほど繁栄していました。
ギリシャ人のコミュニティも多かったことから、一時は衰退していた東方風のワインもこの時期に再び定着し、南イタリアワインのひとつの特徴となったと言われています。

スペインの圧政による産業と文化の衰退

しかし、その多様性が失われるとほんの数世紀のうちに急激に衰退し、1266年にはフランス、アンジュー家によって征服されてしまいます。
シチリア島では大規模な反乱が起こり、1288年にフランスの支配を排除することに成功したものの、この際に助けを求めたスペイン、アラゴン王家の支配を受けることになりました。
こうして南イタリアは、いったんシチリア島側のシチリア王国とイタリア半島側のナポリ王国に分裂しましたが、1442年には政略結婚によりナポリ王国もアラゴン王家の領地となり、その後18世紀までスペインの支配地域となります。
このスペインの支配期間には、中央集権的な支配体制が取られ、非常に厳しい圧政が敷かれました。
そのため、ワイン文化を含めて多くの文化や産業の発達が停滞し、同時期に海洋交易や金融業で力をつけて繁栄していた北イタリア地域と大きな差が開いてしまいます。
北部ではこの時期、有力な都市や商人が自治権を持つようになり、封建的な貴族に代わって地主が土地を治めたことで、ブドウ畑の開墾やワイン文化の浸透が進んで品種改良や品質向上が行われていました。
しかし、南イタリアでは人々は昔と同様ある程度固まって居住していたため、積極的な畑の開拓などは行われませんでした。
経済的にも比較的貧しかったことから、一般の人々がワインを日常的に楽しむような余裕を持てる地域はほとんどなく、生産量の増加や品質向上の需要もなかったのです。
この南北の経済的・文化的な差は、その後ずっと尾を引く問題へと発展していきます。

イタリアの統一と開く格差

 18世紀にはいると、国際的な「古い支配体制からの脱却」という機運に乗って、イタリアに革命やイタリア統一の動きが現れ始めます。
特に19世紀初頭にナポレオンによってわずかな期間だけ行われた仮の統一は、その動きを活発化させました。
最終的に、サルデーニャ島とシチリア島から南北別々に進んだ2つの勢力、つまり北イタリアから領土を広げてきていたサルデーニャ王、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世と1848年から革命軍を指揮したガリバルディの指揮の下、シチリア島に置かれた臨時の革命政府がイタリア半島中央で合流する形で全体を征服。
ガリバルディがヴィットリオ・エマヌエーレ2世をイタリア王と認めて南イタリアの革命政府領を献上する形で、1861年にイタリア全土が統一され近代イタリアのスタートとなります。
しかし、文化的・経済的格差が大きかったことや、サルデーニャ王国の本拠地が北イタリアのピエモンテ州だったことなどから、統一後も南イタリアの地域の多くは近代化が後回しになってしまいました。
さらに、イタリア統一直後にフランスで発生したフィロキセラ災害によって、大量生産の安価なワインに対する需要が急激に伸びたことから、イタリア全体で「質より量」を基本方針とするワイン造りが行われるようになります。
特に南イタリア、中でもシチリア州やプーリア州はテロワール的にブドウ栽培の適性が非常に高く、フランス南部のプロヴァンス地方やラングドック・ルシヨン地方のように放っておいてもブドウが育つため、安価な低品質ワインやバルクワイン(原料ワイン)の一大産地となりました。
そうなると当然、品質向上や技術の進歩の必要性は薄くなるため、その流れの中でも名醸地では高品質なワインを造っていた北部イタリアとの格差はワイン産業面ではさらに開くこととなってしまいました。

南イタリアの現在と可能性

 第二次世界大戦後、こうした南北の格差やワイン造りの方向性を修正する施策が開始され、20世紀後半からはようやく南イタリアの各地でも良質なワインが産まれるようになってきています。
まだ北イタリアの産地に比べると、DOPワインの割合が著しく低かったり知名度が向上していかないといった問題点はありますが、もともとのテロワールの良さや中世に品種改良が進まなかったことで逆に保存されていた古い品種のブドウなど差別化できる要素も少なくないため、近年では少しずつ注目を集めるようにもなってきました。
気候変動や消費者の嗜好の多様化によって、ワイン産業における勢力図に変化が訪れつつある昨今。
いままでほとんど知られていなかった南イタリアの産地が、世界を驚かせるような急成長を見せてくれるかもしれません。

南イタリアのワイン造り

 南イタリアはイタリアでも特に古いワイン造りの歴史を持つ地域ですが、歴史的な理由から発展が遅れ、ワインの産地としてはごく最近まで軽んじられてきました。
そのため、平均してワインの生産量は北部より少ない州が多く、例外的に大量生産を行うシチリア州やプーリア州ではDOPワインの割合が非常に低くなっています。
テロワール的には北イタリアに負けない地域も多く、ローマ帝国以前から伝わるような歴史あるワインもあるのですが、生産量が少ないため影が薄く、知名度がなかなか向上しません。
ただ、中世にブドウの品種改良などが行われなかった分、他にはない古い特徴を持つブドウやワインがいくつも残っており、近年では個性的なワインを好む人々によって少しずつ情報が広がりつつもあるようです。
緯度的に平均気温が高い地域が多く、海に囲まれているため全体的に海洋性の温暖な気候帯に属しています。
また、西側は乾燥した季節風がやってくることもあり、凝縮味のある濃厚なワインを生み出すことができます。
醸造技術や設備の近代化によって過剰な高温や乾燥による問題は克服されつつあり、テロワールのポテンシャルにふさわしいワインも生まれるようになってきています。
新しい名産地として南イタリアの各州が名声を高めるのも、そう遠くないかもしれませんね。