ピエモンテの地域データ 位置、歴史、気候など

目次

ピエモンテ州(Piemonte)とは

 ピエモンテ州は、北イタリアの一番西側の州です。
長靴のようなイタリア半島ではなく大陸上の、アルプス山脈のふもとに位置します。
ロンバルディア州(Lombardia)、リグーリア州(Liguria)、ヴァッレ・ダオスタ州(Valle d'Aosta)、エミリア・ロマーニャ州(Emilia Romagna)と州境を接するほか、フランス、スイスの国境にも接しています。
イタリアの20州の中で面積は第2位。
ワインの生産量はイタリア内で第5位とやや順位が低めですが、DOPワインが総生産量の80%以上という高品質ワインの生産地でもあります。
フランスの貴族だったサヴォイア家の支配期間が長く、フランス革命後にはピエモンテ共和国として半世紀ほどフランス共和国に編入されていたこともあるため、フランス風の文化や伝統が多く見られることでも知られています。
ワインはもちろん、各種チーズや白トリュフなども産出し、イタリア有数の料理学校があるなど美食に熱心な地でもあります。

ピエモンテ州のワインに関する歴史

ワイン造りの開始と北イタリアの変遷

 アルプス山脈を挟むとはいえ、フランスのプロヴァンス地方(Provence)に程近いピエモンテ州は、イタリアの中でも特にワイン用ブドウの栽培に適した土地のひとつで、そのワイン造りの歴史も非常に古いものとなっています。
イタリア半島のワイン造りが本格化したのは西暦前800年頃とされていますが、その頃にはすでにこの近辺でエトルリア人によってブドウ栽培が行われていたことが、発掘された遺跡などからわかっています。
紀元前2世紀頃にローマ帝国に併合されたあとは、幾つかの都市が建設され順調に発展。
後に属州からイタリア本土へと編入され、帝国内でも特にローマの富の恩恵を受けられるようになり、ワインを含む文化も大きく発展しました。
しかし、ローマ帝国の分裂と西ローマ帝国の滅亡によって、その優位性は一転します。
5世紀から数百年の間に、東ゲルマン人(オドアケル)、東ゴート王国、東ローマ帝国、ランゴバルド王国、フランク王国(中フランク)と支配者がころころ変わり、そのたびに戦火に巻きこまれたため、他の北イタリアの地域同様次第に疲弊していきました。
9世紀にはいると、東フランク王国(神聖ローマ帝国)の王がイタリア王を兼ねるようになりましたが、兼任の王だったためにイタリア半島にいることは稀であったため、かわりにローマに常駐する教皇と各都市の権力者が支配権を行使するようになり、イタリアの北側半分はいくつもの都市国家(コムーネ/comune)が成立していくようになります。
現在のピエモンテ州も、州都であるトリノ周辺は11世紀頃からサヴォワ公領となりますが、アスティやアレッサンドリアなどはその頃はまだコムーネのひとつであり、それぞれ独立した発展を遂げました。

ワイン文化の浸透

 この頃から、北イタリアの情勢は比較的落ち着いた時代に入ります。
修道院が農地を整備していったことで農作物が行き渡るようになり、工業が発展した都市から裕福になり独立性を高めていきます。
それに伴い、土地が領主から富裕商人に移り、地主が小作人を使って作物を生産するようになっていきました。
これによってより商品価値の高い作物が作られるようになり、一時期後退していたワイン産業が息を吹き返します。
北イタリア全体の例に漏れず、農地が広がり人々が分散して住むようになったほか、有力者が権力の証として館周辺にブドウを植えるようになったのもこの頃です。
ワインの供給量が増え、庶民の間にも食事の際にワインを飲む習慣が根付いていったため、この後ワインの生産は増減はしつつもやむことなく続けられることとなります。

イタリア統一と「質より量」のワイン造り

 18世紀にはサヴォワ家の支配がピエモンテ全域に広がり、サヴォワ公国が誕生。
フランス革命によって一時フランスの衛星国となりますが、1861年には現在のイタリア全土を統一し、イタリア王国となりました。
ワイン生産についてはあまりに環境条件が良すぎたため技術的な進歩が遅く、19世紀後半のフィロキセラ災害やその後の低価格ワインの大量需要に影響され、大量生産的な品質の悪いワインばかりが造られるようになっていました。
ただ、現在もその名を馳せる幾つかの名醸地については、近代イタリアの初代首相・カブールやその側近達の尽力もあり、例外的に高品質なワイン造りが行われていたようです。

品質重視のワイン造りへ

 流れが変わってくるのは第二次世界大戦後のことです。
1963年にイタリアの原産地呼称制度であるDOC法が制定されると、バルバレスコ、ブルネッロ・ディ・モンタルティーノなどがDOCやDOCGに認定。
1970年代以降はワイン造りの方向性も変わり、大量生産からフランスの主要産地のような品質重視の姿勢へと移り変わっていきます。
この品質への舵切りがあまりに急激だったため、例えばバローロが製法の特徴によって新旧タイプに分かれるなどの混乱もありましたが、品質やブランドイメージの向上にはおおむね成功しました。
現在ではイタリアを代表する産地のひとつとして、世界に名だたるブランドを生産し続けています。

ピエモンテ州のテロワール

 ピエモンテ州は「山のふもと」という意味の州名の通り、アルプス山脈のふもとに位置します。
そのため、地形の2/3以上が山岳地か丘陵地という標高の高めの地域で、イタリアの州にしては寒冷な気候を特徴としています。
また、夏冬の寒暖差が激しく、夏は乾燥するものの収穫期には頻繁に霧(ネッビア/nebbia)が発生することでも知られており、バローロ(Barolo)やバルバレスコ(Barbaresco)の原料として知られるネッビオーロ(Nebbiolo)はここから名がとられたとも言われています。
平野部と丘陵部では土壌の性質がやや異なり、砂質から粘土質を主とする、石灰を多く含む畑が多いようです。
粘土質の地質を持つ畑では、タンニンの分厚いどっしりとしたワインが、砂質の畑では凝縮味はありつつも華やかなタイプのワインが多く産出されます。
ポー川を筆頭に豊かな水源に恵まれており、古くから農業が盛んだったこともあって、しっかりと整備された畑が多く見られるのも特徴のひとつです。