ラツィオ州 中央イタリア3
ラツィオ州(Lazio)
ラツィオ州はイタリア半島の中央付近、西側に位置する州です。
トスカーナ州(Toscana)、ウンブリア州(Umbria)、アブルッツォ州(Abruzzo)、モリーゼ州(Molise)、カンパーニア州(Campania)に州境を接し、地中海(ティレニア海)に面しています。
ローマを州都に持ち、ローマ帝国の黎明期から歴史上非常に重要だった地域で、現在でもイタリア第三位の人口を有する州となっています。
当然、ワイン造りの歴史もイタリア内でもっとも古いほうに属し、帝国が領土を広げていく前からその名を知られていた「フラスカーティ(Frascati)」などの銘柄もあります。
ローマ帝国、ひいてはキリスト教世界の重要地域であったことから、イタリア半島内外の争いに巻き込まれて荒廃することも度々ありましたが、修道士達が中心となって伝統的なワインを守り続けてきました。
テロワールとしてはブドウ栽培に申し分なく、イタリア半島内では珍しく平地が多いのが特徴。
もともとが火山帯に位置することから火成岩や石灰岩を多く含む土壌で、ミネラル感のたっぷりとした白ワインを生み出しています。
ラツィオ州のワイン造りに関する歴史
現在ラツィオ州に含まれる地域は、西暦前2000年以上前から多くの民族が居住していた土地でした。
ワイン造りを目的としたブドウの栽培が本格的に行われるようになったのは西暦前800年頃とされていますが、温暖な気候と良質な地質に恵まれていたことからワイン産業が急速に成長。
ローマが拡大を始める西暦前500年頃には、すでに幾つかのワインが良酒として知られていたようです。
ローマ帝国期には人口が増加していったこと、そしてキリスト教が国教として認められたことなどからブドウ畑の開拓も進みました。
しかし、帝国の東西分裂以降は地域の重要性があだとなり、度重なる争いによって何度も荒廃の憂き目にあうことになります。
当然ブドウ畑も蹂躙されることになりますが、キリスト教の修道士達が中心となってなんとか完全な全滅を免れ、細々とでも伝統を受け継いできました。
教皇の権力が増大しキリスト教拡大と共に財力も増していった中世以降は、教皇領として再びワイン造りも盛んになりますが、同時に興隆した金融業や芸術など他の産業に圧されて重要度が下がってしまいます。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが「まるで夢の世界にいるかのよう」と絶賛したカンネッリーノ・ディ・フラスカーティ(Cannellino di Frascati)など、一部良質なワインも造られていましたが、生産量の少なさもあって知名度はいまひとつでした。
現代では、ワイン全体の生産量やDOPワインの生産割合では中央イタリア内で上位に位置しているのですが、DOP(DOCG)の認定が遅かったことなどもあり、認知度は品質の高さに反して依然低めになっているようです。
ラツィオ州のワイン造りとテロワール
ラツィオ州は、19世紀時点で教皇領だったローマ県を中心として5つの県で構成されていますが、ワインの生産地は偏らずに分散しています。
生産量の7割以上が白ワインとなっており、甘口から辛口までバラエティ豊かな白が造られています。
19世紀ころから続いた赤ワインの偏重の関係で、DOCG認定や他地域・他国での評価が遅れていましたが、石灰岩や火成岩の多い地質が育むミネラルをたっぷりと含んだ白ワインは、各地の著名人や貴族、王族達に古くから愛されてきました。
近年では、醸造技術の向上や設備導入の影響もあり、ようやく注目を集めるようになってきています。